ビルマの竪琴の水島上等兵はその後に帰国してお寺の住職になっていた

映画『ビルマの竪琴』では、最後にビルマに残ったとされる水島上等兵のその後が気になりますよね。

この記事では、水島上等兵のモデルとなった人物のその後の人生について詳しく掘り下げるのとともに、本作を無料で見る方法についても解説しています。

ビルマの竪琴の水島上等兵はその後に復員して住職になっていた

映画『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルの中村一雄さんは、1946年に軍務を解かれて帰国した後、群馬県昭和村の雲昌寺の住職となって村の開拓に奮闘しています。

また、慰霊のためにたびたびビルマを訪れ、1998年にはミャンマーのキンウー市に小学校を寄贈し、戦没者のための慰霊碑も建立しています。

2008年12月17日に群馬県川場村の病院で老衰のため92歳で死去するまで、生涯をかけ、戦争犠牲者の鎮魂と平和交流に力を注ぎ続けたそうです。

また、中村さんは復員後、学生時代から関心を持っていた児童教育に打ち込み、1958年には雲昌寺の敷地内に保育所を設置。

児童文学の執筆にも取り組み、ビルマ戦線の体験を童話にした「ビルマの耳飾り」では反戦の信念を表現して、講談社児童文学新人賞を受賞しています。

いっしょに仕事をしていた女性保育士の方によると、中村さんは登園時間には決まって門に立って園児たちの頭をなで、うれしそうにしてしていたそうです。

ビルマの竪琴は実話にかなり近い

『ビルマの竪琴』の著者の竹山道雄は、水島上等兵についてはもちろん、本作自体にもモデルはないとしていましたが、次の通り中村さんが出版した本によって本作は実話に限りなく近い話だったとされています

著者はこの物語は空想の産物でありモデルもないが示唆になった話はあると記していたが、20数年後に武者一雄が著作した本が出版され宣伝された後に水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった群馬県利根郡昭和村の雲昌寺前住職 中村(武者)一雄と言われるようになった。

引用元:Wikipedia

まとめ

『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとされる中村一雄さんは、復員後に住職となって平和活動や児童教育に力を尽くしました。

私も映画を見ましたが、水島上等兵が竪琴を弾いた後に戦友たちから去っていくシーンや、帰国の船上で井上隊長が手紙を読み上げるシーンは、ホントに見ごたえがありましたね~。

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